2010年4月30日金曜日

看板

通勤ラッシュ時に、駅の入口で。

2010年4月29日木曜日

モーニング・ポエム

眼下に架かる黄金色のアーチ それはまるで雨上がりの虹のよう

創作ポエム『僕の放尿』

2010年4月28日水曜日

襲名

じつは私の名前は父方の祖父とそっくりそのまま同じなのである。親に聞くところによると、祖父が他界したちょうど1年後に私が生まれたため、「これはじいさんの生まれ変わりに違いない」という話になり、祖父の名前をそのまま付けることにしたのだそうだ。当然祖父に会ったことはないのだが、親や親戚から聞く祖父の評判は頗る高く、一代で財を成した優れたエンジニアであるばかりでなく、人格的にも高潔な御仁だったようだ。そんな祖父は生前、一度改名したそうで、改名前の名前は「マンゴロウ」だったらしい。

私にとって、祖父の数々の偉業のなかで、この改名こそが最大のファインプレーだったことはいうまでもない。

2010年4月23日金曜日

ワンダーランド

新宿マルイの香水コーナーで、難解な日本語に出会った。

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アイシィなシトラスとハーブから、フレッシュなスパイス、そしてテンダーなウッディへ(某香水メーカーのPOPより)
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・そもそも2つの読点で区切られた3つの文の関係がわからないので、各単語の語感から意味を汲み取り、無理やりにつなげるほかない。
・まず「アイシィなシトラスとハーブ」について。シトラスとハーブは並列というよりは、シトラスがハーブの中に包含されていると考えるほうが自然である。したがい「氷のような涼しさを感じさせる柑橘系の薬草」と意味をとる。
・「フレッシュなスパイス」を直訳すると「新鮮な香辛料」であるが、「新鮮な香料」と訳すほうがTPOをわきまえているといえよう。
・最後に「テンダーなウッディへ」とはどういうことであろう。香水の宣伝なのだから、「~の香り」と締めくくるべきではないか。 仕方がないので「そして伝説へ」の「へ」と同じものとして捉え、未来へ想像の翼をひろげる余地を残しておく。

以上の思考プロセスを経てたどり着いた私の解釈を次にしるす。

「氷のような涼しさを感じさせる柑橘系のハーブから、新鮮な香料を抽出しました。繊細で優しい木々の中へあなたをいざないます」

別フロアをその後ぶらぶらしていたら、アパレルショップの販売員から積極的な売り込みを受けた。よくよく聞いてみると、「かわいい」「合わせやすい」という言葉しか用いてなく、先の宣伝POPを体現するかのような売り込み方である。

と加齢臭漂う苦言になってしまった感があるけれども、アイシィな香水も、かわいくて合わせやすいシャツも、大枚はたいてしっかり買いました。メタフィジカルなマルイが嫌いじゃないです。

2010年4月20日火曜日

明文と名文

ご近所のブログで紹介されていた文章がたしかに美しかったのでリンクさせて頂きます。

明文はトレーニングを積めば誰でもある程度書けるようになるけれども、名文を書くにはもって生まれた才能やセンスが必要だと思う。記者と作家の決定的な違いはこの点にあるんじゃなかろうか。

2010年4月18日日曜日

一度は言い放ってみたい言葉


「会社は仲良しサークルじゃねえんだっ!!」

2010年4月15日木曜日

管理責任者の心構え

池田晶子の著書より。
名経営者のアツい精神論よりもこういう冷めた見方のほうに好感をもつし説得力があると感じる。

(部下を叱れなくて困っています、とのサラリーマンからの相談に対して)
「部下に嫌われたくない、好かれたいという曖昧な態度で、あなたは責任者としての役割を、全うすることができるのでしょうか。嫌われ役を引き受けると覚悟を決める、それが自分の責任だと思い定めるのがよろしいかと思います。自分を対象的に眺めることですね。組織での仕事とはつまりロールプレイであって、人格的なあれこれとは無関係なのだと」(池田晶子『人生は愉快だ』)

もちろんそう割り切ってうまくいくもんでもないのだけれども、つねに心の片隅にかような諦観をもっておくことが必要と思料。

2010年4月14日水曜日

誰に読む物語?

当社では人材のローカライズ(Localize)が大きな方針としてあり、現地の優秀な若者を積極的に採用・登用している。現地の有名大学卒のインテリを、幹部候補生として雇っているのである。

明治の開国以来、当社は日本国の発展とともに成長してきた。入社後のオリエンテーションではそんな当社の成り立ちを説明するのだが、聞いてる側の反応がどうもよろしくない。それはそうだろう、明治維新から太平洋戦争での敗戦、そして戦後の復興という物語は日本人だから共有できるし、皮膚感覚で共感できるのである。当社は良くも悪くも歴史が古いことが一つの特徴としてあり、コテコテの日本人的価値観で組織を束ねているといえると思うのだが、真のグローバル企業に変わるためには、グローバルに受け入れられる物語が必要である。それって何だろう。

などということを、周りの現地スタッフを見てて近頃よく考える。

2010年4月13日火曜日

哲学と実務

哲学なき実務は虚業なれど、実務なき哲学は無力なり。
世の中に商機を見出し、英語や簿記・ITなどアイデアを実現するスキルを身に付けることはやはり大事。

2010年4月12日月曜日

エレベータ三兄弟

オフィスにエレベータが3基あるんですけど、1Fでボタンを押したら3基同時に降りてくるんですよ。アホかと。ねるとんパーティーじゃあるまいし1基降りてくりゃ間に合うっつうの。

2010年4月11日日曜日

笑止日経

今朝の日経新聞を読んで吹き出してしまった。

「本社コラムニスト」なる肩書きの人物が書いたコラムで、「進化するジャーナリズム」という題名が付けられている。曰く「電子版の登場で、メディアの世界はグーテンベルクの印刷革命以来の大転換期を迎える。新聞と電子版が融合し共存すれば、メディアに新たな地平を開き、ジャーナリズムを進化させるだろう」と。

本人はアメリカ独立宣言でも起草するかのように高らかと謳い上げているつもりなのだろうが、はっきりいって「何をいまさら」である。電子版登場の土壌は既に10年前から整っていたし、My News Japanなど実際に成功しているメディアもある。この自己中心的世界観を恥ずかしげもなく堂々と紙面に掲載するあたり、感度の鈍さ度し難しといわざるをえない。

福沢諭吉はその著書『文明論之概略』の中で云った。
「文明には外に見はる事物と内に存する精神と二様の区別あり。外の文明はこれを取るに易く、内の文明はこれを求むるに難し。国の文明を謀るには、其の難を先にして易を後にし、難きものを得るの度に従てよく其の深浅を測り、乃ちこれに易きものを施して、正しく其の深浅の度に適せしめる可からず。」

内面の精神を理解せず外面だけを取り繕って好い気になっている同社は、ITの進化発展と裏腹に、衰退の一途を辿るであろうことここに予言しておく。

2010年4月10日土曜日

ゴルディアスの結び目

KY曲線で例に挙げた故事(いわゆる「ゴルディアスの結び目」)について補足したい。

むかしむかし現在のトルコのあたりにフリジアという土地があって、そこにはある言い伝えがあった。それは新しい王は荷馬車と共にやって来るというもの。農民であったゴルディアスは偶然、荷馬車とともにフリジアを通りかかり王となった。彼は荷馬車を神殿に奉納して縛り上げた。

この縛り上げっぷりがなかなか手が込んでいたため誰にも解けない。人々はいつしかこれを「ゴルディアスの結び目」と呼ぶようになり、この結び目を解けた人物こそ王の中の王になるであろうという話になった。

年月を経てマケドニアのアレクサンドロス大王がペルシャを征討するためにフリジアを通りかかった。この言い伝えを耳にしたアレクサンドロスは、縛ってある紐をあれやこれやと解こうとしたのだけれども、途中で面倒くさくなったのか、おもむろに刀を抜くや結び目を一刀両断してしまった。

アレクサンドロスの家来は「さすが大王!」と拍手喝采だったのだろうが、昔から結び目を聖なるものとして受け継いできた人々からしたら、「(そりゃ刀を使えば出来るけど)それをやっちゃアおしまいやろ」という禁じ手だったに違いない。その意味でアレクサンドロスは大いなるKYだったといえる。

アレクサンドロス的メンタリティの一例。

2010年4月9日金曜日

「自由」についての至言

「故に単一の説を守れば、其の説の性質は仮令ひ純情善良なるも、之れに由て決して自由の気を生ず可からず。自由の気風は唯多事争論の間に在りて存するものと知る可し。」(福沢諭吉『文明論之概略』)

2010年4月8日木曜日

本ブログの方針

鉛筆の芯でいえば「F」を目指しております。
硬すぎず濃すぎず、かといってHBほど知られてないけれど、記憶の片隅をつつましげに占有してる存在感。
 
って、なにこの就職活動臭ムンムンのアピール。

2010年4月7日水曜日

小林秀雄の「天という言葉」と題するエッセイはこんな書き出しで始まる。

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「天」とか「命」とか「天命を知る」とかいう言葉は、今日、特にジャーナリズムの上に現れると、いかにも古色蒼然たる姿を呈する。これには、私も異存はないが、新語の出現と応接とに暇のない私達が、例えば、「活動写真」という言葉が古臭くなるのと同じあんばいで、「天」という言葉も古びた、そういう迂闊な考えで居るのも、争われぬ事のように思われる。(小林秀雄『考えるヒント2』)
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平成の世に目を移すと「天」などという言葉は死語を通り越してどこか胡散臭げな気配すら纏っている。小林がそのようにみた昭和の時代においてさえ既に「古色蒼然」としていたのだから、それも当然なのかもしれない。

しかし私は思うのである。「天」は今の世にもたしかに存在すると。

例えば生きて死ぬというような自然の理の前には何人も平等であり、世の人々が作り上げた国家や社会秩序さらに宗教というものは所詮フィクションでしかない。そして個人個人が如何に自我を主張しようとも、連綿と続いている大きな流れの中からスピンアウトすることは決して出来ない。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」とは福沢諭吉の引いた一文であるが、まさに天の認識なくしては語りえない言葉である。我々が日々懸命に維持しているフィクションを取り払ったときに残るものは、昔も今もきっと変わらない。

敷衍して日々の生活に話を移すと、サラリーマン社会は理不尽なことが多いのが相場なのだけれども、所詮フィクションなのだから劇の役を演じるつもりで働くべし。見るべきは天なり。

2010年4月6日火曜日

美容整形

世に美容整形なる奇術あり。四谷怪談のお岩を楊貴妃に変えるが如き舶来の医療技術(テクノロジィ)なりて、全国津々浦々の婦女子を虜にせり。親より譲り受けたる身体に刃を入れることに道義的問題を見出すこと容易なるも、当人の人生軽くすること必定なれば、親もこれを認めざるべからず。

然れども容姿の眉目秀麗なるを以って世に認められたる職業の者が美容整形すること愚かなり。かつて戦国の時代に太閤秀吉は大阪城を築けれどもこれ鍛冶大工の功といえり。同様に美容整形によりて楊貴妃の如き美貌を得りしともこれ整形医師の功というべきなり。さらにいへばテクノロジィは日進月歩にて顔形を整えることますます容易ならん。そこに真なる価値はあらんや。

2010年4月5日月曜日

KY曲線

心の機微を解せぬさまを俗にKYといふなり。
かかる態度は人を困惑せしめ場の空気を凍りつかせること必定なれば、しばしば侮蔑の対象となり忌避すべきと考えられしものなれど、ときに賞賛の対象となりうべし。
試みにKYの程度をX軸にとりY軸に賞賛と嫌悪という感情を当てはめてみよ。KY値が不十分のうちは嫌悪も比例して大きくなれども、ひとたび閾値を突き抜けるや賞賛へ転ずべし。この動きによりて座標に描かれるカァブをKY曲線といふなり。
歴史に例を求むれば、古代西欧にゴルディアスなる王ありて荷馬車を神殿に結びつけしに、後数百年の間、何人たりとも結び目を解くこと能わず。然しながら遠征で訪れしアレクサンドロス大王は結び目を刀で一刀両断せしめ、家来の士気大いに上げることに成功せり。これKYの功徳といふべきなり。

2010年4月4日日曜日

オフィスに棲む魔物

伝え聞くところによると、むかし飛騨の山奥には「覚」(さとり)といふ魔物がいて、不幸にも出くわしてしまった人間は、悉く覚に心を見透かされ食べられてしまったそうな。

オフィスにも魔物がいる。「忙」という魔物が。
忙は姿かたちを見せないけれども、取引先やときには上司・同僚を媒介としてそこで働く者の心身に影響を与え、(その字のとおり)心を亡くならせてしまう。

覚は唯一何も考えない人間にだけは恐れをなして逃げるというが、忙に対してはある種のふてぶてしさこそがお祓いとなることここに明言しておく。

以上、新入社員に送る言葉。

2010年4月3日土曜日

子規について

正岡子規にえもいわれぬおもしろみを感じる。例えば以下に引く一文に大変に興味を惹かれるのである。

「ブッセ先生の哲学総論であつたが余にはその哲学が少しも分らない。一例をいふとサブスタンスのレアリテーはあるかないかといふやうな事がいきなり書いてある。レアリテーが何の事だか分らぬにあるかないか分るはずがない。哲学といふ者はこんなに分らぬ者なら余は哲学なんかやりたくないと思ふた。」(正岡子規『墨汁一滴』)
 

2010年4月2日金曜日

四季なき国なれど街角に桜咲くを見て「いとをかし」と思ひ近寄れば造花なりけり。これ「いとわろし」なりと。

2010年4月1日木曜日

発句

不景気に
   ますます萌ゆる
         もやしかな